金属錯体の研究

研究の概要

 物質を開発するための研究は二つの方向性に大別されます。一つは『新たな物質を合成するための方法論を確立する研究』であり,もう一つは『合成の方法論を駆使して新たな材料を創出する研究』です。これら二つの研究は車の両輪のような関係です。合成の方法論を確立する前者の研究には,触媒の開発が重要な鍵を握ります。触媒を用いた高効率・高選択的な基質変換反応の開発は新たな方法論の確立だけでなく,限られた資源の有効利用化や省エネルギー化に貢献することができます。
 私たちの研究室では,遷移金属元素に注目し,金属錯体触媒や固体触媒の研究に取り組んでいます。
 金属錯体触媒の開発は,遷移金属元素の選択とその金属に固有の能力を最大限に引き出すための配位子の設計が重要です。そこで,金属錯体の安定性(長寿命化)と反応性(触媒活性)の相反する両面をコントロールすることが期待できる3座ピンサー型配位子の開発を進めてきました。さらに,元素の枯渇問題に端を発した元素戦略の観点からニッケルや鉄などの汎用金属元素を用いた金属錯体の研究を行っています。持続可能な金属元素を用いた錯体触媒の研究は重要な課題であると考えています。

3座ピンサー型ニッケル錯体の研究

 3座ピンサー型配位子は配位のキレート効果により,金属錯体の熱的な安定性の向上と高い反応性が期待できることから,近年,活発な研究が行われています。私たちの研究室では,アセチルアセトンと配位部位を有する第1級アミンとの縮合反応により合成可能なモノアニオン性3座ピンサー型配位子を開発し,そのニッケル錯体の研究に取り組んでいます。3座配位子の三つの配位部位を系統的に変化させた4種類のニッケル錯体の合成に成功し,触媒反応に関する検討を行っています。

■ ニッケル錯体を用いたクロスカップリング反応

 錯体Ni-ONPは芳香族塩化物(Ar-Cl)と芳香族Grignard反応剤とのクロスカップリング反応において高い触媒活性を示すことを見出しました。

 最も強固な結合の一つであるC-F結合の活性化を伴うクロスカップリング反応が進行することを見出しました。特に,錯体Ni-NNPが高い触媒活性を示すことを明らかにしました。

 さらに,錯体Ni-ONPはアリルエーテル類のC-O結合の活性化を伴うクロスカップリング反応において高活性な触媒として機能しました。

 錯体Ni-ONNは芳香族ハロゲン化物と第1級および第2級の脂肪族アルコールとのクロスカップリング反応の触媒として機能し,アリールアルキルエーテルを与えることを見出しました。

■ ニッケル錯体を用いたスチレン類のヒドロメタル化反応

 錯体Ni-ONPは,スチレン類のヒドロホウ素化反応において高い触媒活性を示し,高選択的にMarkovnikov生成物を与えました。

 さらに,1,1,3,3-テトラメチルジシロキサンをケイ素源に用いたヒドロシリル化反応では,スチレン類に対してジメチルシランがMarkovnikov選択的に付加した生成物を与えることを見出しました。

鉄錯体の研究

 3座ONN型ピンサー配位子を有する3価および2価の鉄錯体を合成し触媒反応を検討しました。3価鉄錯体は第2級臭化アルキルと芳香族Grignard試薬とのクロスカップリング反応において,簡便な手法かつ短時間でクロスカップリング体を収率良く与えることを見出しました。

 2価鉄錯体はスチレン類の原子移動型ラジカル重合反応(リビングラジカル重合)の触媒として,高い活性を示すことを明らかにしました。  

 2,2’-ビピリジン類は金属錯体における代表的な2座配位子の一つです。ビピリジン配位子を有する鉄錯体は多用な配位構造をとることが知られています。3種類の鉄(II)ビピリジン錯体の配位構造と触媒活性の相関を検討するため,臭化シクロヘキサンとPhMgBrとのクロスカップリン反応を検討しました。その結果,鉄とビピリジンが1対1で錯形成し,塩素で架橋した複核錯体2が高い触媒活性を示すことを明らかにしました。

 鉄ビピリジン錯体の研究の過程で,ビス(トリフェニルホスフィン)イミニウムカチオン(PPN)を有する3価鉄塩錯体 (PPN)[FeCl4] がクロスカップリング反応の良好な触媒となることを見出しました。  

 さらに,常圧の酸素雰囲気下で1,1,3,3-テトラメチルジシロキサンを還元剤として用いることにより,スチレン類に対するWacker型酸化反応が進行しカルボニル化合物が温和な条件で得られることを見出しました。

 ビス(トリフェニルホスフィン)イミニウムカチオン(PPN)は配位性のないカチオン種であることから,鉄本来の反応性(触媒活性)を引き出すことができた結果であると考えています。